creature2018@仮設

長い18世紀のイギリス

La Galatéeを拿捕した英国艦がthe Essexだった件

以前『ガーディアン』の記事 Addley, Esther. “Unopened 18th-Century Love Letters to French Sailors Read for First Time." 6 Nov 2023. についてメモをした(cf. 「七年戦争中に捕虜となった乗員たちへ宛てられた身内からの手紙が、未開封の状態で発見される」)

今回は、そこから個人的な追加調査をしてみた話。

La Galatéeを拿捕した英国艦はthe Essex

『ガーディアン』の記事で個人的に気になった箇所が、

The letters were intended for the crew of the Galatée, which was sailing from Bordeaux to Quebec when it was seized by a British vessel and taken to Portsmouth, where they were imprisoned.

Galatéeという名前と、ボルドーからケベックへの途上で拿捕されたというくだりに引っかかるものがあった。

Three Decksで検索してみると運よくGalatéeのデータがある。Service Historyの欄を見るにGalatéeを拿捕した英国の艦はEssexというらしい。

あれーおかしいなーEssexといえば七年戦争でキャンベル艦長が指揮したのと同じ名前のふねいやいやいやGalatéeを拿捕したのってキャンベル艦長だったんですか!? そう言われてみると、そんな記録を前に見つけたような……

Admiralty Office, April 22.
On the 7th Instant, the Essex of 64 Guns, with the Pluto and Proserpine Fire Ships, which sailed the 24th of last Month in order to join Sir Edward Hawke, fell in with 12 Sail of the Enemy's Merchant Ships, escorted by a Frigate of 22 Guns, from Bourdeaux, bound to Quebec, and took the Frigate, called the Galathée, a Letter of Marque of 20 Guns, and one Merchant Ship. Captain Hume, of the Pluto, was unfortunately killed engaging the Letter of Marque.
The Antelope and Speedwell Sloop have taken two more of the above mentioned Merchant Ships. [The London Gazette, 18 Apr 1758, p. 2]

そう、こんな官報見たことあった、あった。

それから、このエントリを書いている途中で『ガーディアン』紙の記事の元となったと思われるケンブリッジ大学のウェブページ「Love lost and found」を見つけて、その本文には最初から英国側の艦名はEssexと明記されている。自分で調べるまでもなかった。

La Galatée (24) vs the Essex (64)

戦闘については以下の3つの文献を発見

すべてフランス語。仏語の心得が残念ながら皆無なので、とりあえずDeepLで英訳したものも参考にしつつまとめてみると、

  • 場所: ビスケー湾(Fr. ガスコーニュ湾)
  • 時間: 1758年4月7日午後3時頃
  • 戦闘の経緯
    • 午後3時頃、Galatéeの艦長Jacques du Bois de la Motte〔ラ・モットのジャック・デュ・ボワ。陸軍か海軍?中将の息子〕は4つの艦影を認めた。そのうち先頭の艦が明らかに追いかけてきている。
    • Du Boisは商船団に向けて散開の合図を出した。
    • そしてGalatéeは、砲撃の射程距離の1.5倍のところで行き脚を止めた。敵艦艇を引きつけるために。この距離を保ったまま〔?〕、追い風を受けて帆走した〔?〕
    • この〔Galatéeが囮になる〕方法で船団は辿り着いた、助かると思われるところまで〔?〕。そのためには〔?〕、Galatéeは同じタックで夜11時までずっと帆走しなければならなかった。そして相手〔Essex〕はGalatéeとピストルの射程距離で並んだ。
    • 相手が戦闘を開始し、Du Boisは真夜中まで持ちこたえた。索具すべてを破壊され、喫水線下に〔?〕数発被弾したため、降伏しなければならなかった。
    • Galatéeでは6名死亡、15名負傷。Essex のキャンベル艦長は、Du Boisとその士官たちを、こうした状況で望みうる限り快適に過ごさせた。

日時については異論があって、Morieux教授の論文では

  • 遭遇したのは4月8日の午後3時頃(7日じゃなくて)
  • 撃ち合ったのは30分間(1時間じゃなくて)
  • 降伏したのは午後10時30分頃(夜中0時ではなくて)
  • ところでDu Bois艦長は22歳

どちらの文献がどの程度正しいのか wa ka ra n(わからん)フランス語わからーん。人名なのか地名なのかすらわからーん。フランス語圏で史料を漁ってみるのが初めてで参照元文献へのアクセスも全然わからーん。もうEssexの航海日誌TNA, ADM 51/320読めばよくない?😇😇😇

……気を取り直して。

4月7日説では戦闘が真夜中に及んでいる。月でも出ていたのかなと調べてみると、この日はほぼ新月。4月8日説だとしても、地平線上に月が出ている時間はほぼない。この時分の日没は20時台の遅く、薄暮は21時過ぎくらいまでらしい(April Sunrise and Sunset times Saint-Pierre-d'Oléron | France)。Du Bois艦長の目的は囮になることだったから、夜陰に紛れることはしなかったのかも。

そういえば当時のフランス海軍の士官って、もしやほぼ貴族が占めていたりするのでは? ということはDu Bois艦長も貴族? Wikipediaの記事だけれどEmmanuel-Auguste de Cahideuc, comte du Bois de La Motte (1683 - 1764)なんて人がいる。親戚? というか、この人も海軍士官だからもしや父?? いや、DCBによると息子は2人で、長男は他界していて次男の名前はシャルルだから、違うかな。

そういえばその2。Three DecksのデータによるとEssexの当時の副長って1707年頃の生まれなんですね。キャンベル艦長よりも12歳年上で当時40代後半。水兵上がりのベテラン士官で頼りになりそう。でもせめてコマンダーにはなりたかったでしょうね。(その後なった模様)

それから、キャンベル艦長はGalatéeの士官たちを(捕虜なりに)よく遇したとのこと。キャンベル艦長はフランス語が喋れたりしたのかな。天文学と航海術の専門家な上にフランス語まで喋れるなんて、いくらなんでも無理かな。牧師の息子ということでラテン語の読み書きはできそうではあるけれど……。誰かが通訳したのでしょう、きっと。

商船La CaticheとLa Rostanの拿捕

Galatéeの他にも2隻が拿捕されている。私掠船と商船が1隻ずつ。Galatéeの艦長の手紙)と英国側の史料を合わせてみると、

  • Essexの僚艦の火船のPlutoとProserpine、そして10砲門のフリゲート艦Speedwellが、仏の商船団のうち逃げ遅れた〔?〕私掠免状持ちの商船La Catiche(Étienne Dassié船長)を拿捕した。
  • 翌日、Caticheは軍艦〔?〕のところへ曳航されてきた〔?〕。そして船長曰く、トップマストを外した〔破壊された?〕船が一隻だけでいる。場所は南西へ6海里行ったところ。
  • この情報を受けてSpeedwell〔?〕はすぐさま現場へ向かい、午前10時頃に船を発見。
  • その船の様子
    • 全然索具を取り換えていない〔?〕し、全然逃げようとしない このような危機にあるのに。それはまったくフランスの船とは思われなかった。帆走しようともしなければ風を掴もうともしない 追い風を受けるのが責務であるような時なのに。
    • 砲撃の射程内になってその船は踟蹰し、国旗を揚げた。これがCadusseau船長の指揮する商船Roslanだった。
  • 何故Roslanはそんなことをしていたのか?
    • 前日午後10時にマストを破壊されていたのだが、怠慢のために、船具を取り替えていなかった。

Du Bois艦長は仏海軍の偉い人へ宛てて、Roslanの拿捕に関しては自らの責任ではないと主張している模様。確かにこれが本当だったら彼のせいではない。反対に、拿捕した側にとっては濡れ手で粟。

商船団のうちCaticheが最も逃げ遅れた結果捕まってしまったのは、それ以前にPlutoと戦闘していた(cf. 前掲のLondon Gazette)影響もあるのかもしれない。

曳航

Du Bois艦長の4月20日付の手紙はプリマスで書かれている。だからその日までにはGalatéeはプリマスに到着していたはず。Galatéeの拿捕の報がフランスに伝わったのは、Sessional Papers of the Dominion of Canadaを見るに、遅くても5月5日頃?

Caticheはというと、TNA, HCA 32/178/1 (Captured ship: La Catiche of Bordeaux, Etienne Dassié, master.)によると4月7日に北緯46度付近にてHMS Speedwellによって拿捕され、ファルマスへと曳航されている。

感想

『ガーディアン』の記事の紹介文を見て、「七年戦争の海事分野の話かー、キャンベル艦長に関係あるかなー」と思っていたら、実際なかなか関係が深い話であることがわかった。Galatéeの乗組員たちへ手紙が届かなかったのはキャンベル艦長の責任ではないとはいえ、苦い。

それからフランス語の文献が、勉強したことがないから当然のこととして、まったくわからない。18世紀半ばのフランス語は綴りや語法が古いらしく、DeepLの仏英訳も参考程度にしかならなさそう。とはいえ海事分野は「仏和海洋辞典」が利用できるのがありがたかった。