「【翻訳】軽師団長の訃報と家族」の補足情報。
主な登場人物
階級や肩書は1812年1月当時のものに準拠。
クロフォード家(同世代)
- ロバート・クロフォード少将 (Robert Craufurd, 1764–1812): 故人。当時の英国では少数派の軍事教育を受けた軍人であり、半島戦争における同盟国軍の軽歩兵師団指揮官として名高い。と同時に、厳格な規律主義者かつ癇癪持ちの激しい気性のためにほとんどの士官から嫌われていたことでも有名。シウダー・ロドリーゴ強襲時に部隊の陣頭指揮を執っていた際に致命傷を負い、5日後に死去。私が調べている主要人物の1人。
- メアリー・フランセス・クロフォード夫人 (Mary Frances Craufurd [née Holland], 1776–1842): ロバートの愛妻、愛称はファニー (Fanny)。夫とは対照的に温厚な性格。およそ11年の結婚生活で3男1女に恵まれた。ちなみに父は建築家ヘンリー・ホランド。
ロバートとメアリーの子どもたち: 三男一女。1812年1月当時で長男チャールズ(10歳)、次男ロバート(7歳)、長女ルイーズ(5歳)、三男アレクサンダー(3歳)の4人がいる。クロフォード将軍が最後に子供たちに会ったのは亡くなる1年ほど前のことだった。その後全員が無事成人している。
チャールズ・クロフォード中将 (Charles Craufurd, 1763–1821): 近衛竜騎兵第2連隊の連隊長、庶民院議員。ロバートの1歳上の次兄で、同じく軍事教育を受けている。順調に昇進していたが、ライン戦線で頭部を負傷した後遺症で前線の任務から退く。弟とは対照的に世渡りに長けていた。ニューカッスル公爵未亡人との結婚を通じて、継子であるニューカッスル公爵の影響力を利用する。
クロフォード家(後代)
- 『クロフォード将軍とその軽歩兵師団』著者 (Rev. Alexander Henry Craufurd, 1843–1917): 聖職者、作家。43連隊の従軍牧師の経験がある。クロフォード将軍の直系の孫にあたり(将軍の長男チャールズ・グレガン→の三番目の息子)、祖父の伝記を出版した。Coila's Whispers 著者サー・ウィリアム・フレイザーとは「はとこ(またいとこ)」関係に当たる。
- ウィリアム・オーガスタス・フレイザー (Sir William Augustus Fraser, 1826–1898): 作家、政治家。軽師団長とは大叔父/又甥の関係にあたり (軽師団長の弟ダニエル→の娘シャーロット・アン→の子)、母方の親類であるクロフォード将軍とその軽師団を題材にした詩を書いた。また、父サー・ジェイムズが第7軽竜騎兵連隊の将校として半島戦争やワーテルローに従軍している。
陸軍関係者(上官・同僚)
ウェリントン卿 (Sir Arthur Wellesley, 1769–1852): イギリスおよび同盟国軍総司令官、後の初代ウェリントン公。反抗的かつ性格に難のあるロバートを寛大且つ公正に扱う、上官の鑑。
スチュアート少将 (Charles Stewart, 1778–1854): 半島軍の軍政総監 (Adjutant General)、後の第三代ロンドンデリー侯。クロフォード将軍とは互いに名前で呼び合うほど親しく、半島ではクリスマスを共に過ごしたり、上官への反抗を共謀したりした。友の軍葬の際には喪主を務め、遺族への連絡等事後処理も取り仕切る。後述のウッド中尉とは姻戚関係にある(妹→の夫→の末弟がウッド)。
陸軍関係者(部下)
- キャンベル大尉 (William Campbell, 1782–1852): ロバートの腹心の部下にして友、軽師団付のDAQMG(輜重部門の下位の役職)。所属は23連隊だが実質的には騎兵っ子。軽師団長とは階級、年齢ともに離れていたが友人関係にあり、上官の最期のみならずその後も末永く忠節を尽くした。周囲からは非常に高潔な人物とも、ドン・キホーテ的思考形態の人物とも評されている。
- ショー中尉 (James Shaw [later Shaw Kennedy], 1788–1865): ロバートの頼れる副官、所属は43連隊。上官が致命傷を負った様子を目撃し、後方へ運んだ。軍人としては非常に冷静沈着、且つ大胆不敵。
- ウッド中尉 (Charles Wood, 1790–1877): ロバートの副官、所属は52連隊。自身の長兄の婚姻を通じてスチュアート将軍とは姻戚関係にあり、おそらくその縁でクロフォード将軍の副官に任ぜられたと思われる。実は日本語書籍デビュー済(ジョン・キーガン著、高橋均訳『戦場の素顔』)。
陸軍関係者(部隊)
- 軽歩兵師団 (the Light Division): クロフォード将軍麾下の師団。第43・52・95連隊などから成る半島軍の精鋭。95連隊はベイカーライフルを装備していた部隊のひとつで軍服は赤 (red coat) ではなく緑 (green jacket)、また隊員の回想録が多数出版されている。シウダー・ロドリーゴ強襲では小破口攻撃を担った。
- 第3師団 (the 3rd Division): 第45・74・88連隊などから成る。師団指揮官ピクトン将軍とその参謀たちはその外見から〈熊とボロ着の参謀〉"the bear and ragged staff" とあだ名されたとか。シウダー・ロドリーゴ強襲では大破口攻撃を担った。
- 第4師団 (the 4th Division): チャールズ・コルヴィル将軍(後任はガルブレイス・ローリー・コール将軍)麾下の師団。
- 第5師団 (the 5th Division): ジェイムズ・リース将軍麾下の師団。ロドリーゴへの包囲攻撃には加わったが強襲には参加していない。
ポルトガル全軍 (all the Portuguese): シウダー・ロドリーゴに駐屯していたポルトガル軍か。
きみに率いられ、96年に知り合ったささやかな五人組 (our small party of five who were headed by you, and first knew each other in '96): 1796年にライン戦線で出会った5人、すなわちオーストリア軍司令部付英国人武官だったチャールズ・クロフォード中佐、その秘書官プロビー中尉、インドで退役してから兄の許へ来たロバート・クロフォード、近衛歩兵連隊のアンストラザー大尉、騎兵連隊のチャールズ・スチュアート少佐のこと(階級などは1796年準拠)。
地図・関係図
1812年
情報全部載せしたごちゃごちゃした図の方に愛着があります(笑)
1861年
使用した画像の出典
- Head icon (MingCute Icon).
- Lieutenant General Sir Charles Crawfurd [sic], c1807, by unknown artist (ArtUK).
- Major General Robert Craufurd, by unknown artist (archive.org).
- Sir Charles Stewart, 1814, by Sir Thomas Lawrence (Wikipedia).