creature2018@仮設

長い18世紀のイギリス

【翻訳】ワーテルローの戦い後のバリング少佐(バリングの回想より)

以下は Schwertfeger, Geschichte der Königlich Deutschen Legion, 1803-1816, vol. 2, p. 501-2. Google Books の翻訳(英訳版も参照)。ワーテルローの戦いにおいてアルテン将軍指揮下の第3師団、KGL第2軽歩兵大隊所属少佐としてラ・エー・サント守備にあたっていたバリング (1773–1848) の回想より、戦闘終了後の様子について――

 師団の者たちは疲労困憊していたが、夜通し戦場で過ごした。共に開戦を迎えた部下の兵士400名は、いまやたった24人しか残っていなかった。誰の安否を尋ねても、答えはこうだった――「戦死!」「負傷!」
 率直に打ち明けると、こうした知らせに私は思わず涙したし、またあまりに無念でならず、惰弱にもそのことで頭がいっぱいになっていた。こうした塞ぎこんだ気分から正気に立ち返らせてくれたのは、我らが師団の補給係将校のショー少佐〔原文ママ※〕だった。彼は気心の知れた友だった。私は憔悴しきっており脚の痛みがひどかった。我が友と共に、藁か何かの上に寝転がった。身体の下に敷いて休むようにと、兵たちが調達してきてくれたものだった。目が覚めてすぐに気づいたのは、我々が片方を死んだ人間に、もう片方を死んだ馬に挟まれているということだった。だが彼らの悲惨さ、悲痛さと一体となっているこうした戦場の光景については沈黙をもって通り過ぎることにしよう。
 我々は戦死した友人や同僚を埋葬した。その中には大隊指揮官のフォン・オンプテダ大佐や、数多の勇士たちがいた。いくらか煮炊きし、兵たちがおおむね元気を取り戻してから我々は戦場を離れ、敵の追撃に加わったのだった。〔私訳〕

※当時のショーの階級は少佐ではなく正しくは大尉ですが、役職から本人と考えて差し支えないと思います。後年の回想なのでちょっと間違えたのでしょう。あるある。

そつなく穏やかに、それでいて有無を言わさぬ様子でバリング少佐の腕をとり休息を促すショー大尉(勝手な想像)。