creature2018@仮設

長い18世紀のイギリス

【翻訳】ブサコの戦い、追撃時のG・ネイピア大尉(G・ネイピアの回想録より)

以下は Passages in the Early Military Life of General Sir George T. Napier, K. C. B., pp 144-5. Google Books の翻訳。1810年9月27日ブサコの戦い。軽歩兵師団第52歩兵連隊のジョージ・ネイピア大尉が、敗走していくフランス軍を追撃していた時のこと――

丘を下りながら敵を追っていた時、7、8人のフランス軍士官が負傷して倒れているのが見えた。そのうちの1人が、追い抜かれざまに私の小さな銀の水筒を捕まえて、どうか足を止めて飲み物を恵んでほしいと涙ながらに頼んできた。拒むのには相当心が痛んだが、聞き入れてやることはできなかった。全力で敵を追撃しており、一瞬でも立ち止まるなど不可能だったのだ。残酷に思えることかもしれない。しかし戦時下では、我々は無情で残酷な行いをさんざんするし、せねばならない ものなのだ。もしも私が立ち止まって彼に飲み物をやったとすれば、他の者たちにもそうしてやらないといけなかっただろうし、そうすると私は一番最後に丘の麓に着いていただろう、先頭に立って敵を追撃できずに。つまり息子たちよ、このことを思い起こしなさい――士官たるもの敵に遭っては常に 真っ先に 立ち向かい、また退くはそれを 最後に 行うものである。〔私訳〕

元々この自伝はジョージ・ネイピアが自分の子供たちに向けて書いた私的なものだったため、こうやって時々諭すような文言が出てきます。「我々の兄チャールズが」「お前たちのチャールズ叔父が」という身内向けの表現も出てきます。序文によると執筆されたのは1828年、とのことなので彼の子供たちが10歳前後の頃に書かれたことになります。

また、ブサコの戦いにはジョージ・ネイピアのいとこで海軍士官のチャールズ・ネイピアも有志として参加していました。以下、ブサコの戦い前日夕方にあったことを前掲書の記述に基づいて想像するに、
C「なあいとこ殿、散兵戦に行くんだって? 僕も一緒に行きたい」
G「きみは海軍士官だよな?」
C「あ、僕はきみの白いポニーに乗って行くから」
G「……あのねチャールズ、一人だけ騎乗していたら絶対狙われるよ」
C「何と言われようと僕は乗る」
30分も経たないうちに
C「痛ッ」
G「言わんこっちゃない……」
幸いチャールズ・ネイピア艦長はふくらはぎに軽傷を負っただけで済んだとのこと。

この海軍のチャールズ・ネイピアは、四半世紀後のポルトガル内戦でペドロ派軍の首脳として戦っています。内戦終結後は敵対していたはずのサー・ジョン・キャンベル解放を支持するという、いい人……のみのイメージから少し広がりました。