creature2018@仮設

長い18世紀のイギリス

プロビー長官の娘エリザベスとキャンベル家のつながり?

新しい資料を発見した喜びのまま書きなぐったメモです。わーいわーい。

背景情報(概要): ウィリアム・キャンベル大尉やクロフォード将軍と関わりがある、プロビー家関連の資料発見。

背景情報(詳細): ウィリアム・キャンベルの父はチャタム海軍工廠の会計責任者を務めていました。同工廠の長官はチャールズ・プロビーといいました。プロビー長官の娘シャーロットが1789年に結婚した相手はトーマス・ピトケアン大佐といい、ウィリアム・キャンベルの母方叔父にあたります。つまり、ピトケアン家・キャンベル家とプロビー家は姻戚関係にあるということです。またプロビー長官の親戚、カリスフォート伯ジョン・プロビー(1780-1855)は、クロフォード将軍の友人でもあります。

そんなプロビー長官の娘についての伝記 Joanna Woods, The Commissioner's Daughter: The Story of Elizabeth Proby & Admiral Chichagov, 2000. を Google Books で発見。 婚姻関係のあるトーマス・ピトケアンの名前は当然ありました。とはいえさすがにキャンベル家の名前は無いだろうと思ったら……あった! あったよ!
キャンベル違いかもしれませんが、調べているキャンベル家な気がします。とりあえず立ち読みできた範囲では以下のような内容があったからです――

Mrs Pitcairn has sent these young Ladies a great quantity of Portuguese vocal musick - it seems very pretty and like the Italian, but the greatest part of it being written in the tenor clef, it is very tiresome to pick out and they have not tried a quarter of it yet. . . . (74)

上記の手紙が書かれたのは1799年3月。この時分にポルトガルにいるピトケアン夫人といえばウィリアム・キャンベルの母方叔母のエリザベス・ピトケアン夫人(1759-1842)に違いありません。彼女の夫デイヴィッド・ピトケアン医師は1798年秋から1801年3月頃までリスボンで療養しており、その帰国便には夫人も乗船していましたから、夫妻でリスボンに滞在していたと思われます。

というピトケアン家とのつながりから、この伝記に登場するキャンベル家=私が調べているキャンベル家、と仮定して考えてみますと、非常に興味深い内容が見られるのです。伝記主人公のエリザベス・プロビーは、ロンドンのゴア・ストリートでキャンベル家と一緒に住んでいて1799年3月9日付の、彼女から父宛の手紙で一家について触れられています――

I have not been yet to get Mrs Proby's print, as it has been convenient for Mrs Campbell to walk so far and she and the girls wish to go with me as those shops afford the sight of many fine prints ― John Campbell goes every morning at ten o'clock to a Lawyer in Lincoln's Inn and studies there the whole morning, so that we have only his company in the Evening. William is not very fond of attending the Ladies, so I never go out but with them ― they are all fond of walking, therefore the first fine morning we mean to go. (74)

プロビー夫人の絵(版画?)を手に入れに行くにあたり、当時の慣習として彼女は一人で外出するわけにはいかないわけですが、下宿(?)先家族の都合でなかなか機会に恵まれない様子。

まず、キャンベル夫人やその娘たちは、(馬車ではなく)徒歩を好んでいるそうで、天気の良い日しか出かけられない。これは、趣味嗜好の問題なのか、経済的事情で馬車をあまり利用しなかったのか……?(キャンベル氏は早くに亡くなっているため、一家は海軍からの年金や親戚の遺産等で暮らしていたはずです)

次にジョン・キャンベル。当時19歳の彼は勉強のためにリンカンズ・インの弁護士のところへ通っていて夕方まで会わない(だから彼に付き添ってもらうことはできない)。通いの見習いか何かでしょうか。1800年に第7軽竜騎兵連隊に任官する前に、社会勉強していたのですねジョン。

最後にウィリアム。手紙の本文に姓は明記されていませんがウィリアム・キャンベルのことでしょう、きっと。

想像図
EPさん「よければ、買い物に付き合ってくれない?」
ウィリキャン「ご婦人のお供をするのは好きじゃないんです。すみません」

やたら高潔という後の評判からすると意外です。付き添いが見つからなくて困っているご婦人がいれば頼まれなくても助けそうなものなのに。それとも、

ウィリキャン「貴女にはチチャーゴフ艦長という心に決めた人がいるとお聞きしました。僕と一緒に出かけて万一噂が立っては申し訳ありません。ですからお引き受けいたしかねます」
EPさん「そ、そう……」

みたいな感じでしょうか。17歳にして高潔っぷりを発揮。それともティーンらしく、

ウィリキャン「面倒くさいからヤです」
EPさん「」

だったのかな……。

いずれにせよ、学校に行くわけでもなくよそで勉強をするわけでもなく、何をしていたのかが気になります。大学入学に向けて自宅で勉強?

以上、勘違いかもしれないけれど新しい資料が見つかったよ わーい☺、な走り書きでした。

(伝記主人公のエリザベスさん――拾い読みした範囲では、早くに亡くなった母親代わりに家政の切り盛りや父親含む一家の精神的ケアを担わされたり。外国人の想い人との結婚を、お金を盾に父から反対されていたり。
強権的な親から抑圧される状況は読んでいて苦しいですが、乳母Didhamさんがナイスアシスト)