以下は Terry Coleman, The Nelson Touch: The Life and Legend of Horatio Nelson, 2004, pp. 19-21 Google Books からのメモ
海軍士官に任務を与えるのは Admiralty の管轄だが、若きジェントルマンが海尉任官にふさわしいかどうかの試験(海尉昇進試験)は歴史的経緯から Navy Board が取り仕切っていた。試験(面接)は慣例により3人の艦長によって執り行われる。
1777年4月9日(水)に行われたホレイショ・ネルソンの面接を担当したのは以下の3名――
- モーリス・サクリング(試験の取りまとめ役。Comptroller of the Navy でネルソンの母方おじ)
- エイブラハム・ノース(海上軍務の経験はあまりない。平素は強制徴募隊を統制?)
- ジョン・キャンベル(天文学と航海術のエキスパート)
ジョン・キャンベルは航海用六分儀の考案者、そして翌1778年に新造の HMS Victory のファースト・キャプテンを務めることになる人物である。
ネルソンの海尉昇進試験に関して恒例になっている話として、特別扱いを避けるため甥の合格が確実になってからはじめてサクリングが自分たちの関係性を明かし、他の二人の艦長は大変驚いた、というものがある。しかしこれはあり得なさそうな話である。なぜなら、
- ノースとキャンベルは試験官歴かれこれ8年、サクリングとのトリオになってからは2年で、お互いをよく知っているし、昇進試験の仕組みをよくわかっていた。
- 縁故主義は大っぴらに認められており、叔父が甥を後援するのは不自然なことではなかった。
- むしろその日の受験者がネルソン1人ということの方が不自然(同じ艦長トリオで開催された前週の試験日の受験者は5人)。
- さらに言えばネルソンの軍務経験を証明する艦長の名前にはサクリングのものも含まれていた。しかもネルソンの初航海の時のもの。
よってサクリングとネルソンが知己なのは、残りの2人にとって明白である。というわけで言い伝えというのはよくできた話だが、それ以上のものではない。(メモここまで)
キャンベル艦長の名前があってびっくりした。能力的には確かに適任だろうけれど、試験官までやっているとは思わなくて。
七年戦争後の平時のジョン・キャンベル艦長の活動
Admiralty のみならず Navy Board にも赴いていたとは、忙しそう。
ところで試験官トリオといえば、やはり「沈んだ」「沈んだ」「沈んだ」ってやるんだろうか(やりません)